AIとの向き合い方
AIは魔法ではありません。エスパーでもありません。
「試してみたけれど、うちでは使えなかった」。講演のあとで、よくそう言われます。話を伺うと、AIの性能の問題であることは、ほとんどありません。
「うちでは使えなかった」の中身
何を訊いてみたのかを伺うと、たいていは院内のことです。「うちのルールでは有給は何日取れるのか」「この処置の準備はどうするのか」。そして返ってきた答えが一般論だった。だから使えないと判断された。
これは、AIが間違えたわけではありません。訊かれたほうは、その医院の就業規則も、その医院の手順書も、一度も見せてもらっていないのです。知らないことを訊かれれば、一般論で答えるしかありません。
AIは魔法ではありません。エスパーでもありません。
とても優秀ではあります。ただ、優秀であることと、こちらの事情を知っていることは別の話です。
AIには体がありません
AIには、たった一つですが決定的な弱点があります。物理的な体を持たないことです。
棚まで歩いていってファイルを開くことも、隣の人に「これどうなってましたっけ」と訊くこともできません。ということは、デジタル化されていない情報は、AIにとって存在しないのと同じです。
紙のカルテ。手書きの連絡ノート。壁に貼られた手順。口頭で伝えられているルール。これらはすべて、AIからは見えていません。
もう一つ、見落とされがちなものがあります。「あの人に聞けば分かる」という状態です。誰かの頭の中にあるマニュアルは、外に出力されていない限り、やはり見えません。人間の側でも属人化として問題になっているものが、AIに対しても同じように機能不全を起こします。
だから、順番があります
情報が散らばったまま、あるいは紙と口頭のまま、最新のものに乗り換えても、劇的には良くなりません。土台がない場所に、乗せるものだけを増やすことになるからです。
先にやることは、正直に言って地味です。院内のルールを文字にする。手順書を一箇所に集める。日々の数字を手元に残す。そのうえで置くと、はじめて自院のスタッフとして機能しはじめます。
逆に言えば、この土台さえあれば、上に載せる道具は後からいくらでも差し替えられます。数年単位で入れ替わっていく領域ですから、差し替えられる状態にしておくこと自体に価値があります。
もう、性能の差では決まりません
数年前は、どれを選ぶかで結果がかなり変わりました。得意不得意がはっきりしていたからです。
いまは各社が数週間単位で更新をかけていて、正直なところ、日常業務で感じられるほどの差はほとんどありません。少なくとも、私たちが院内で使う範囲では、どれを選んでも大きくは外しません。
差がつくのは、何を読ませているかです。
自院の診療の考え方。説明の仕方。院内のルール。患者様にどう向きあうと決めているのか。それを渡してあるかどうかで、返ってくるものがまったく変わります。ここは、道具を買い替えても埋まりません。
では、何から渡せばいいのか
全部を渡す必要はありません。効く順番があります。
一つ目は、就業規則と院内ルール。有給、シフト、身だしなみ、休憩の取り方。この手の問い合わせは、同じ内容が何度も繰り返されます。分厚い冊子は誰も読まないので、結局は院長先生か古株の方が毎回答えることになります。ここが自動で答えられるようになると、まず事務方の負担がはっきり減ります。
二つ目は、手順書。準備、片付け、器具の扱い、書類の出し方。新人の方が訊きたいことの大半はここです。「うちのやり方」が返ってくるようになると、教育の負担が変わります。
三つ目は、自院の方針と説明の型。担当制を採っている理由。自費をどう位置づけているか。患者様にどこまで説明すると決めているか。ここまで渡すと、外に出す文章の下書きが「うちらしい」ものになります。
この順番には理由があります。上から順に、量が少なく、更新頻度が低く、効果が分かりやすいからです。逆から手をつけると、作業量が多いわりに手応えが薄く、途中で止まります。
一度渡して終わり、ではありません
ここは見落とされがちです。ルールも手順も、変わります。
渡した内容が古いままだと、古い答えが返ってきます。しかも、もっともらしく返ってくるので、間違いに気づきにくい。人が「それ去年までのルールですよ」と言ってくれるのとは違います。
ですので、更新の担当と頻度を決めておいてください。難しいことではなく、「変えたときに、元の文書も直す」を運用に組み込むだけです。これは結局、手順書を最新に保つという、以前からある課題そのものでもあります。
最新のものにすれば解決する、ではありません
最後にもう一度、いちばん多い誤解に触れておきます。
うまくいかないとき、より高性能なものを探しに行きたくなります。気持ちは分かります。ただ、渡していない情報は、どれだけ性能が上がっても補完されません。知らないことは知らないままです。
お金をかけて解決する問題ではなく、手を動かして解決する問題です。そして幸いなことに、この手を動かす作業は、AIを使わない場合でも医院の役に立ちます。ルールが明文化され、手順が一箇所にあり、誰でも探せる。これは、AIが登場する前から良い医院の条件でした。
間違いは、ゼロにはなりません
もう一点だけ、正確に書いておきます。事実と違うことをもっともらしく答えてしまう現象は、以前よりずいぶん減りましたが、ゼロにはなっていません。
ですので、外に出す文章や、患者様に渡す資料については、最後に人が目を通す工程を残しておく必要があります。ここを省くと、いつか事故になります。
これは欠陥というより、性質だと考えたほうが実務的です。下書きは任せる。確認は自分がする。この線引きを決めておけば、安心して任せられる範囲がはっきりします。